はじめまして
パニック障害とたたかう主婦mimuです
①発症
今でもはっきりと覚えています
小学1年生時の給食でパセリの乗ったホットドックのようなものが出た日でした
食べ過ぎたつもりはなくでも何か気持ち悪いなぁと思いながら下校
帰宅後祖母と買い物に行きその帰りに道端でリバース…
もうパニックでした
その日から給食が食べられない日が続きました
その時の苦しさとか気持ち悪さが鮮明に記憶に残っており、給食は牛乳くらいしか口にできなくなってしまい、担任の先生から自宅に電話があったほどです(この話は大人になった今でも母にネタにされます…)
給食が嫌で学校休みたいという気持ちでいっぱいでした。家ではおそらく普通に食べていました。
泣きながら祖母に連れられて行ったのを覚えています
普通の人からすれば一回吐いたくらいで?と思われると思います。でも何よりも恐怖なんです
②その後
その後のことは正直あまり正確に覚えていません
どうやって食べられるようになったのか。でも少しずつ食べられるようにはなっていったのだと思います
嘔吐恐怖症の人あるあるかもしれませんが、家では食べられることが多かったりします。発症してから給食はもちろん、外食を嫌がるようになり、家族が食事をしている時も私はジュースを頼んで飲んだりして、帰ってからご飯を食べたりしていました
今思うと、会食恐怖症も発症していたのかもしれません
③安定期
小学高学年になると給食もしっかり食べていたように思います(記憶が曖昧ですが)
でも5年生になると試練が…
宿泊研修なる泊まりの行事
嘔吐恐怖症にとって何より怖い集団でのバス移動
私自身も車酔いは激しかったのですが、それより怖かったのはクラスメイトのY君
彼はとても乗り物に弱く、乗るだけで気持ち悪くなる子でした
本人が一番つらいのはわかっていますが、私はとにかく彼の近くに乗りたくない!!!!とばかり思っていました。(ごめんねY君)
そんな感じで定期的にやってくる試練を乗り越えたり、逃げたりして小学校生活を送っていました
最大の逃げは、小学生の一大イベント修学旅行をブチりました笑
これには普段温厚だった父も激ギレしました…
一方で母は呆れていました
④両親に一言
今でこそ、パニック障害、嘔吐恐怖症、会食恐怖症と名前のある症状ですが当時(昭和、平成初期)はまだまだ認知されていませんでした。なので両親も怠けだ、気合いが足りないのだと思っていたと考えられます
確かに私は気合も根性ももともと持っていません。楽な方にばかり逃げてきたと思います
でも気合と根性だけじゃどうにもできないこともあるんだよお父さん、お母さん